祖父母のこと
自分でも驚くほどカタカタとキーボードを叩けたのは、きっとニュースとかで聞き慣れている、読み慣れていることだらけだからだ。
あまりに典型的、テンプレ通りで金太郎もびっくりの祖父母の話。
けっして最近どちらかが他界したわけでも、寝たきりになったわけでもないってことを断っておきたい(だってさっきまで一緒におせちとお寿司を食べてたし)。
唐突に書かなければと思ったのは、年末に見た『スクラップ・アンド・ビルド』の影響か。
痴呆の進行は容赦ない。
今日より明日のほうが悪化するし、どれだけわかりやすく教えても子どものように学び成長してくれることはない。
手からこぼれ落ちていく「今」を少しでも長く繋ぎとめておくには、どうすればいいだろう。
今日は1月2日、私は祖父母の年賀状作りを手伝っている。
年始の『筆まめ』との格闘は、気がついたら始まっていた正月の恒例行事だ。
料理から掃除から物書きまでなんでも祖母に任せるようになった祖父の筆圧はないに等しい。
宛名書きから挨拶文まで、便利?ツールに頼るしかないのだ。
— さるみ。 (@srwtri_) 2016年1月2日
盛大な舌打ちとため息で埋め尽くされた、決して治安がいいとは言えない部屋。
ソファーに座る祖父は、「自分の歯が恥ずかしい」とベテラン歯医者に言わしめる、80代とは思えない完璧な歯並びで、お年賀の干し柿を食べている。
祖母はせっかくあいうえお順にまとめた年賀状の束をほどいていた(慌てて止めに入る母)。
「これもいずれは笑い話になる」みんなそう思っているけど口には出さない。
その話をする席にきっと祖父母はいないからだ。
気がついたら始まっている痴呆は、その家族の生活スタイルを大きく変える。
例えば母は平日と週末の2回、往復2時間かけて祖父母の家へ通っている。
祖父母は歩けないとか、身体に何か問題があるわけではないから介護ではない。
でも「お手伝い」というには貸す手が多すぎる。
すぐに物を無くすから、母の滞在の半分以上は捜しものだ。
クレジットカードも保険証もメガネも家の鍵も財布も、何回なくしたかわからない。
買い物のダブりもすさまじい。
毎度欠かせない冷蔵庫チェックでは、腐ったものを捨て、ダブった野菜やハムをありがたくもらって帰る。
この間は2台目のカラオケマシーン?を買うとことをすんでのところで阻止した(1週間前に買ったことを忘れていたのだ)。
父方もそうだが、耳が遠くなって年々テレビの音量が上がり、聞き返す回数もだいぶ増えた。
にもかかわらず補聴器は絶対付けないと決心しているらしく、母は声を張り上げては咳き込んでいる。
これまで5年に1度くらいしか帰国しなかった、海外で暮らす母の弟も祖父母の痴呆が始まってからは半年に1度は2週間超の休暇をとって様子を見にくる。
祖父母は駅からバスで20分のところにある3階建の1軒屋に二人暮し。
車が欠かせない場所だが、運転免許証は祖父が事故を起こしかけてようやく取り上げた。
けど愛車のクラウンはまだ車庫にあるし、時々徒歩5分のコンビニに車を走らせているらしい。
まさかあれほど切れ者だった祖父がこんなにボケてしまうなんて、6年前の私は想像しなかっただろう。
ステーキの付け合わせのニンニクは絶妙の焼き加減で仕上げ、トンボや蝶を一瞬で捕まえ、時計もその辺で拾ってきたマシンも、魔法みたいにあっという間に治してしまう。
なんでも器用にこなす人だった。
(あれ?もっとすごいと思ったことがあったはずなのに思い出せないな)
そのくらい、この頃の祖父はボケてしまった。
ある理由で私は高校3年の受験期を、母方の祖父母の家で過ごした。
塾で夜11時頃帰る私を、9時には寝る祖母はいつも起きて待っていてくれた。
不登校だった私を、祖母は毎日のように駅まで車で送り届けてくれた。
今日は学校じゃなくて図書館で勉強するといった私を何も言わず送り出してくれた。
唯一祖母に怒られたのはあまりに勉強をしないことについてだった。
高校の英語教師だった祖母はなんでも笑い飛ばす豪快な人だけど、私が受験をなめていたことにはさすがに業を煮やしたんだろう。
(そういえば、唯一祖父に怒られたのは朝風呂だった)
中高の部活動も、大学受験も、就職活動も、全部適当に、中途半端にやっていた私に、祖父はいつも将来について聞いてきた。
どんなことをしたいのか、今年はどんな年にするのか、今の仕事は楽しいか。
そして自分がどれだけ家庭をないがしろにして仕事をしてきたかを話して聞かせ、最後は必ず祖母への感謝で締めくくられた。
ここで「きっと祖父はこんなことを伝えたかったんだと思う」とか書けばいいエントリーになるんだろうけど、別に読ませたくて書いてるわけじゃない。
伝えたいメッセージをそれとなく話に織り交ぜて話すって難しいし、たいていそういうのは受け手が勝手に解釈してるだけだと思う。
ここに書いてあることは私にとってすべて事実で、読んでほしい相手がいるとすれば、それは将来の自分だ。
祖父母が他界した時、二人の家がなくなる時、自分が今の母と同じ立場になった時。
こう思っていた自分を思い出させてあげたい。
祖父母の家に見事なミモザの木がある。
早くも今年の蕾が膨らみはじめていた。
庭一面が黄色く染まるほど「咲き誇る」その花が私は大好きで、毎年写真に納めるのだけど、納得のいく1枚が撮れたことはない。
そういえば、あの家を出たときも黄色い花束を抱えていた。
芸術家の皮を持った女、あるいは夢見がちな異邦人
おそらく人生初の、ダリ展へ行ってきた。
なんとなくだけど、ダリはミュシャについで日本人が好きな画家なんじゃないだろうか。
その証拠に、会期最後の土曜日は午後3時の時点で40分待ちだった(そしてその1時間後には70扮待ちになってた)
半年ぶりに会った友人と積もる話をしながら牛歩すること30分(予想より短く済んだ)、ようやく入ることができた。
壁にある挨拶や開催の経緯みたいな説明をすっとばすと、目の前にインスタ映えする件の鼻が。
どうやらショップを出たところにあるらしく、写真を撮るための行列ができていた。
入り口に設置された『メイ・ウエスト』は撮影OKです!
— ダリ展2016(東京) (@s_dali_2016) July 2, 2016
振り返って鏡越しに撮れば、髪の毛まで全体が写りますよ!#ダリ #京都市美術館 #メイ・ウエスト pic.twitter.com/E2wTT2gt9m
この作品が『メイ・ウェスト』だってことを翌日まで覚えていられる人がどれだけいるだろうか。
鼻を横目に第1章へ。
彼が美術を習い始めた頃の作品は色使いが優しい。
ダリといえば赤と黒といった原色の印象が強いが、それは視覚効果を狙ったものなんだろう。
その色がどんな印象を与えるかということをダリは知っていて、その感覚はこの頃身につけたんじゃないだろうか。
初期の作品は割と描写が正確というか丁寧な絵が多かったが、《聖十字架祭のためのポスター》は違った。
描かれた黒人の女性3人は、みんな体がクニャクニャしてて、立体感のないべた塗りだった。
その後、第2章に出てきた《アス・リャネーの浴女たち》に描かれた女性たちを見て、彼は体をデフォルメするのが上手なのではと思った。
印象派の話になるが、彼らの作品を見ていつも思うのは、なぜ絵を見てそこに書かれているものが◯だとわかってしまうだろう、ということだ。
木だったり、人間だったり、花だったりするそれは、もう少しぼかせば空や草原と一緒になってしまい、何だかわからなくなりそうなほどデフォルメされている(◯だとわかるぎりぎりのシルエットを描いている)のだと思う。
ダリの女性は別に輪郭がぼかされていたわけではなく、半円と丸でできていて分解すればただの記号になってしまうような不思議な姿をしていたが、ちゃんと女性だとわかる記号だった。
それと同じ原理を使い、例えば《幻想的風景》の鳥でできた顔や、《消えるイメージのための習作》のような人のシルエットと背景でできた顔を描いたんじゃないだろうか。
また第2章の、ダリがキュビズムやシュルレアリスムに出会い、ピカソの真似をした作品(とくに《横たわる女》なんてもろピカソの絵だった)を多く発表していた頃の作品は、彼の模索の時期を見ているようで本当におもしろかった。
が、第3章以降のダリ節全開の作品はもう1つ見ただけで満腹。
ここからって時に、一体自分はどうしてしまったのだろう。
派手な色使いも、グニャグニャの時計も、「これぞダリ」と思っていたのに、なぜ「だまし絵展でも行けば」なんて気分になってしまうんだろう。
「プリントで十分」なんて思ってしまうんだろう。
イライラを抱えながら人混みをかき分け、アニメーションを上映する部屋まで来た。
不思議な構造の建物や、ダリそっくりな男の頭だけの山車が出てくる、1950年頃作られたという映像を見て、彼はテーマパークを作りたかったのではないだろうかと思った。
思えばダリ展へ行く前に、スペインのダリ美術館へ行った先輩の話は最高にワクワクするものだった。
美術館を囲う塀の上には卵、淡い赤色の壁にはパン。
館内の至る所に顔に見える仕掛けが設置され、ダリワールド全開。
主張が強すぎて四方八方からダリの視線を感じてしまうくらい。
きっと私はあのダリワールドに浸かるつもりで展覧会に足を運んだのだ。
けど、申し訳程度に塗られた展示室の壁の赤と、ショップの壁の上の方に卵を張ったくらいで浸かれるような世界ではなかったのだと思い知らされて、ガッカリしたのかもしれない。
だから「記念にメイ・ウェストの部屋で写真とってインスタにあげて、『君の名は。』で瀧くんがデートで来たとこだよ!とかコメントして、マグリットとかと似てたよね~とか感想言い合って。
なんならだまし絵展にでも行ったら?」
とか思ってしまったのだろう(ってことにしとこう)。
How many eggs are there on the top of Torre Galatea? . #MuseumMastermind pic.twitter.com/DfFAPrnewr
— Salvador Dalí (@MuseuDali) 2014年3月25日
(FYI: ダリミュージアムはGoogle マップで館内を散歩できて楽しいぞ)
それだけじゃないだろ日本人!
土曜日の15時、ほぼ満席の池袋シネマサンシャインで『この世界の片隅に』を見てきた。民放ではプロモーションできないらしいけど、テレビ見なくったってネットの口コミでこれだけ話題作になれる時代なのだ。
13回見ましたとか、クラウドファンディングでプロモーション資金を集めようとか、とにかく絶賛の嵐だけど、ぶっちゃけこの映画がヒットしていることに懐疑的だ。良さを理解したくて、絶賛している人たちの感想を読んでたんだけど、今朝テレビで「周作さんとすずさんが喧嘩しながら帰るシーンが、、、」まで話して言葉を詰まらせて泣き出した人がいて、いよいよ自分の感性が心配になってきた。まずは箇条書きで気がついたこと、引っかかったことを書いてみる。
思ったこと
- 料理のシーン
とても丁寧で見ていてほっこりした。 材料を読み上げたり、手描きのかわいいメモだったり、 いい絵本を読んでいるような感じ。『コクリコ坂』 の料理シーンに通じるものがある。のんのナレーションととても合ってた。(この1.00分あたりとても良い)
- 周作さんのお姉さん
おしゃれが好きで、都会に憧れてて、街の時計屋の店主と恋愛結婚したけど旦那が子ども残して早死にして、嫁ぎ先とうまくいかなくて出戻る。気が強くて言葉に刺がある、テンプレみたいなキャラクターで一番行動や発言を予測できた。けど一番人間らしかったし、だからか一番会場から笑いをとったキャラだった。いま思えば、21世紀の私たちに近い考え方と性格の持ち主だったのかも。面倒な性格ゆえの生きづらさにも共感したのかな。
- すずさん
お姉さんに対してすずさんは、(ぼんやりしているからか)全然行動とか発言が読めなかったな。すごく可愛らしい人だけど、水原さんと一夜を過ごした時の色っぽさとか、玉音放送を聞いた時の怒りとか、いい意味で裏切ってくる。ただ個人的に、顎にほくろのある人は色っぽいと思ってたんだけど(安野モヨコ『さくらん』の粧ひとか)、すずさんは全然だったな笑(このツイートのすずさんは色っぽいね)
【祝】第38回ヨコハマ映画祭にて、映画『この世界の片隅に』が作品賞と審査員特別賞を受賞!!また、2016年日本映画ベストテンでは、錚々たる映画をおさえ第1位に選ばれました!
— 『この世界の片隅に』11/12(土)公開 (@konosekai_movie) 2016年12月3日
▼詳細は→ヨコハマ映画祭HPへhttps://t.co/GHQP3t47Nh#この世界の片隅に pic.twitter.com/6p6RuLwJw6
- 右手
すずさんが、呉を襲う爆弾の雨を見ながら「 手元にノートがあれば」みたいな台詞を言うシーンは、そこで「この人が見る世界は絵の材料なんだ」「 世界を自分が絵を描く前提で見ているんだ」と思った。だから「 右手を失ってからの世界が歪んで見える、 左手で描いた絵みたいに」につながってくるんじゃないかな。
- 夢
周作さんとのデートで、橋の上で話してた「選ばなかった選択肢はすべて夢」ってくだり、よかったな。今ここに生きていることが現実だけど、同時に過程でしかない。うろ覚えだけど、自分の中ですとんとした。
- カウントダウン
あの日に向かって、カレンダーがめくれて、空襲がどんどん激しくなって、、、わかっているけどハラハラしてしまう。(追記:しおたんさんがすごくいいこと言ってた
1945年の8.6広島に原爆が落ちるのを私たちはみんな知ってる。
— 塩谷 舞(しおたん) (@ciotan) 2016年12月7日
2011年の3.11に震災が起こることを私たちはみんな知ってる。
その事実を知った上で、訪れるべきタイミングを「待つ」物語はとても怖いんだけど、今思うと #あまちゃん は「待つ」以上の物語を描いてくれていた
よくわからなかったこと
子どもできたんじゃないの?
結局1年くらいの間の出来事だから進展もあまりないのかも。って思ってたら宇多丸がちゃんと見れば意味がわかるって言ってたからもう1回見ないとかな、、、(公式サイトにある「すずさんの生きた時代」っていう年表が、実際の歴史の年表と一緒に見れて、ほどよいネタバレ感があってよい)
終戦後、妹から父親と母親?が死んだって知るとこ
すずさんの反応がすごく淡白で、腑に落ちなかった。すでに知ってたの?
→原作読めば全部納得できるんだろうか。誰か教えて。
やっぱり、ネットに氾濫する「日頃に感謝」系の感想にはどうしても納得できない、そういう理由でこの映画が好評価を得ていることを認めたくない自分がいる。「それだけじゃないだろ日本人!」みたいな。むしろみんなそんなに日々感謝してないの?ってなる。
最大限譲歩して、感想をポジティブに言おうとすれば、この映画を通して、戦争への関心というか、意識を少しでもする人が生まれたならそれはそれでいいのかな(惰性)ってコメントを一緒に見に行った人に言ったら、「ヤバイ。その感想あえっててポジティブに言うならねってネガテイブさを感じる」って言われて吹いた笑
唯一絶賛してる勢と同調できることがあるとすれば、『あまちゃん』ファンだし能年玲奈にお金が入ってくれればいいってとこかな。
一言で言えば、情報量がすごい。
『君の名は。』の新ビジュアルが解禁となりました。都内某所の階段で瀧と三葉がすれ違うこのビジュアルは、「出会うはずのない、二人の出逢い」という物語のテーマに合わせ、特別に描きおろされたオリジナルイメージビジュアルです! #君の名は。 pic.twitter.com/lNW0HHIkul
— 映画『君の名は。』 (@kiminona_movie) 2016年6月23日
3ヶ月前、Aから売切れ続出と聞いて、見てもいないのにとりあえず買ったプログラムをようやく開封できる。別に映画館がカップルで7割くらい埋まっていようが、特等席の一番後ろど真ん中の両脇がカップルだろうが、ヨージのコートで身を包んだ「ザ・喪女」って格好だろうが気にしない。14年ぶりの降雪が報じられた11月の夜、私は見る見る詐欺の後ろめたさからようやく解放され、『君の名は。』を見たっていう資格を手に入れた。
まず忘れないうちにメモしておきたい、鑑賞中に頭をよぎったこと。
口かみ酒を見て思い出したのは『もやしもん』だし、現在の瀧と3年前の三葉が入れ替わってるってわかった時に思い出したのは宮部みゆきの『蒲生邸事件』とか『永遠のゼロ』だし、お互いのルール決めたりするのは『思春期ビターチェンジ』だし、彗星が落ちた糸守のシーンを見て思い出したのは『東のエデン』だったし、「もう一度君に会いに行く」みたいなのは完全に『時をかける少女』だし(作中に「未来で待ってる」ってセリフがあっても全然違和感なかったよね)、誰かれ時に再開した二人は『インターステラー』の本棚越しのマーフィーとパパだった。大丈夫、覚えてる。
それから、畳に置かれた組紐、紅葉、新宿の街、全部本物(写真?)かと思うほど綺麗に、正確に描写されてた。トレースとかを駆使して、写真をその場に持っていけばピタリと重なる、とか言われてるけど、これからのアニメってそういうの目指すの?って疑問が頭から離れない。それが新海作品なのかもしれないけど、違和感を感じずにはいられなかった。正確さというか、もはや正しさでは?
とか言いながら、23年以上住んで嫌いになりつつある東京の街がめちゃくちゃ綺麗に描かれてて(瀧のアパートの玄関を出たところから見える新宿と御苑とか)、私はこんな綺麗な街に暮らしているのかと感動した。確かに朝日を反射する高層ビルは綺麗だ。得した気分になる。吉祥寺でオールした帰りに震えながら始発をホームで待って、中央線で向かう新宿の街は眩しいほど美しいことを、私は知っている。
そして、RADWIMPSのPV問題。言うほどか?とは思ったけど、瀧とか三葉の気持ちとシンクロしそうってときに洋次郎の声が聞こえて萎えたっていうのはあった。ただ全体的に見たら、後々歌詞を見て「ああ、こんなこと言ってたんだ」「ここがリンクしてたのか」とか気が付いたくらいで、それは曲よりも映画に集中していたって証拠だと思う。「なんでもないや」の「嬉しくて泣くのは 悲しくて笑うのは 君の心が 君を追い越したんだよ」っていうのは、すごくよかったな。
あーあと最後に。三葉が入った時の瀧くんの声が気持ち悪い(褒)。神木くんすげーな。普通だったら文脈的に「仕草も相まって」とか書くんだろうけど、仕草以上に声から女子っぽさを感じた。
ハイ、映画館で観るには今更すぎた『君の名は。』の感想おわり!
「あの人は今何してるだろ」とか「日頃の感謝を」とか、10、20代はあまり持たない感想(少なくとも私は全く思わなかった)を父母世代を持ってるの面白かったな。それよりも私は「あ、これは『インターステラー』だ、『東のエデンだ』」とかいろいろ考えながら、情報量すげーなとか思ってた。 https://t.co/pkPprIxDNs
— さるみ。 (@srwtri_) November 28, 2016