さるみブログ。

自意識の墓場。

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昨日は会ってくれてありがとう(お花もありがとう)。楽しい時間でした。

 

最近の私はなんだか人に会うのが億劫で、すっかり出不精になっていました。

ご存知の通り完璧主義者な私は、誰かに会うとなると行く店から何を話すかまで、すべてを準備しなければ気が済まない性質なので、仕事が多忙を極める今日この頃は人と会う準備をするだけで疲れてしまっていたのでした。

気心知れた友人にまでそんなことしなくて良い、といった言葉は君以外からもよく言われていましたが、頑固な私は「此れがワタシの正義」と聞く耳を持ちませんでした。

1年前、いまにも壊れてしまいそうな君を連れ出して美術館に行きましたね。傲慢な私は自分の用意していった話題を披露し、自分の行きたい場所から場所へ君を連れ回しました。疲れ切った人を相手にワタシノ正義を振りかざす、今の自分なら絶対に会いたくない人間でした。

 

「コースとか、時間とか、次会うときは何も決めなくていい」

 

昨日、君から放たれたその言葉に不思議と安堵している自分がいました。その場では「そーね、土日くらいね」なんて適当な言葉を返してしまったけど、帰り道、頭からその言葉が離れませんでした。

私にとって誰かに「会おうよ」と言われることは、「誰かに求められる」ということを意味しており、このたった4文字を「自分なんかと会いたがってくれているですって!?ならば少しでもお返しをしなければ!」に変換するまでがセットになっていました。

要するに、私は自分に自信がなく、この4文字に対して必要以上に気負っていたのです。

 

 

昨日、君は二つの偉業を成し遂げました。一つは私をワタシノ正義から解放してくれたこと。もう一つは、やっとの思いで地獄を抜け出したその姿を私に見せにきてくれたこと。やや伏せがちな目元には、以前にはなかった包容力のような、慈愛のようなものが見えました。

私を解放したあの言葉は、君がいた地獄の一丁目(時には二丁目)から持って帰ってきたものの一つだったのでしょうか。

君がいてくれて本当によかった。おかえり。

 

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追伸.

帰宅後、もらったお花を部屋に飾りました。

今年の抱負は「周りにいてくれる人の言葉に耳を傾ける」なんだけど、傾けるまでもなく、いい言葉は残るものだなーと思った夜でした。花をみるたび、この夜を思い出したいです。