水曜日に会いたい
『黒子のバスケ』や『ちはやふる』に出てくる、青春かけて全力で部活に打ち込んでる登場人物たちを見ると、「なんのために頑張ってんの」って言いたくなる。
自衛のためだ。
そんなこと言ったことないし、言えない。
全国大会常連の部活に入りながら、朝練には片手で足りるほどしか行かないクソ部員だった私。
朝は1秒でも長く寝てたいし、がんばるとかつらいし、最低限のことはしてるから誰にも迷惑かけてないし。
めんどうなことはしない、それがいいと思ってた。
自分と違って同期はみんな真面目だった。
朝練は7時から、もう十分うまいのにもっと上を目指すし、ライバルの研究はもちろん、プロの演奏会にもしょっちゅう行ってた。
高校生ができうるすべてをかけて部活に打ち込んでた。
泥臭いけど最高に輝いていて、10代にしか出せないあのキラキラをまとって、本当に眩しかった。
高校生の頃の自分の向かいに立っているのは、いまさら「一緒に輝きたかった」と思ってる24歳の自分だ。
部活ものの作品を見ると、それをいやでも自覚させられる。
「もっとがんばればよかった」「青春かければよかった」
自業自得だとはわかってるけど、めちゃくちゃ抉られるんだよね。
結局黒子は20巻から進めないでいるし、ちはやも最新刊まで買ってあるけど5巻以上ビニールから出してすらない。
『響け!ユーフォニアム』なんて最たる例で、1話冒頭で金賞は取れたけど全国には行けなくて悔し泣きしてる友人を見て、主人公が言った「本気で全国目指してたの」ってセリフ聞いて秒でパソコンの電源切ったからね。
あのセリフで、封印していた現役最後の全国大会の記憶が引きずり出された。
クライマックスが近づくにつれ、顔が歪んでいき、涙を必死にこらえながら演奏する仲間たちの顔を見た。
私は指揮者を見つめ、いつも通りの演奏をした。
もしかしたら楽しいくらいは思ってたかもしれないけど、感極まるみたいな感覚はまったく出てこなかった。
というか、泣くほど頑張らなかったから一緒には泣けなかった。
6年間一緒に頑張った仲間に対して、彼女たちの青春のすべてを見てきた自分がこんなこと言うなんて最低だと思う。
けど、だからこそ、あの全国大会の事実を無視してあの作品を見ることはまだできない。
そんな神経図太くないし、相当後悔している自分に気がついてしまったから。
この話をして、他人から「よくわからない」とか「いい作品だから見なよ」って言われるのはまだいい。
わかる、いい作品なんだろう。
いろんな人に勧められるからそれは知ってる。
けど、「そんな感覚いらないから捨てて」って言われたときはさすがにキレそうになった。
お前に何がわかるんだよ。
なんで万年帰宅部だった奴にそんなこと言われなきゃなんねーんだよ。
経験したこともないくせに端から否定すんな。
指でもくわえてスラダン読んでろ。
別に自分のこの感覚をわかってほしいわけでもないし、吐き出したところで何も変わらないのも知ってる、わかってる。
けど、なにかっていうとあのシーンが脳裏をよぎって、同時に「捨てろ」って言われたことを思い出してしまう。
大学時代、なるべく部活仲間に会わないようにしていたのは同じような理由だ。
会えば、自分の青春が輝けずに終わった事実を突きつけられるから。
くだらないプライドといえばそれまでだけど、私にとって彼女たちは言うなれば「ハイスクールゴースト」だった。※1
高校を卒業して丸6年経って、社会人になった仲間たちからあの頃のキラキラを感じることはなくなった。
いや、あの子たちがキラキラしていた事実は変わらないけど、それが自分に刺さることはなくなった。
当時と変わらずいい子たちだし、会えばあの頃みたいにギャーギャー騒げて楽しい。
彼氏ほしい/KEYくんなんていない/はしごの担々麺はうまい/客にイケメンがいる/ネイル10本5000円でこのクオリティはいい etc.
おかげさまで今じゃ「定例」と銘打って週一で飲んでる。
大学ではあんなに敬遠してたラフティングだって、スノボ(スキー)だって、自撮りだって、恋ダンスだって、全部あの子たちとならできしまった。
部屋の隅に置いてある楽器や、年末の掃除のたびに存在感出してくる6年分の楽譜が入った箱は、変わらずそこにあり続ける。
けど、人は変わらないようで変わるし、気づかないようでそれに気がついてるんだと思った旅行だったよ。※2
※1 海外ドラマ『glee』のシーズン5、12話で、主人公のレイチェルが「自分はニューヨークで活躍して高校時代の自分とは別人になったはずなのに、当時彼女をいじめていたサンタナに会うと惨めなあの頃を嫌でも思い出す」と漏らすシーンを見てくれ。
※2 以上、中高の部活の同期に向けた、今週の水曜日の飲みのお誘いでした。