大変おこがましいことではあるのだけど
しょうもないライターをやっていたフリーター時代、ある先輩に「君にはこの会社に採用されていなかった未来があったんだよ」と言われた。
その先輩の紹介で得た職だったこともあり、ことあるごとに「その節はどうもありがとうございました」と言ってきた私にとって唐突に告げられた事実はなかなかびっくりするものだった。
わたしが採用されなかったかもしれない理由、それは大学時代にミスコンをやっていたからだった(らしい)。LGBTQフレンドリーやダイバーシティを謳っている会社の方針とは合わないのでは、と当時の編集長は懸念したそうだ。
↑ダイバーシティのイメージ
たしかに、ミスコンはダイバーシティともLGBTQとも無縁の世界だった。
候補者のほとんどが体育会サークル所属の見たことのあるアナウンサー顔の女の子で(水槽の金魚よろしく最初は見分けがつかない)、じゃあ"ミスXX大学"を決めるのは縁故票の多さかと思いきや、青田買いを目論む事務所や雑誌といったスポンサーの一言だったりする。
権力を前に企画側は何もしていなかったかといえば答えはもちろん否で、候補者たちの内面をいかに魅力的に見せるか、個性を引き出すかを考え、一人でも多くのファンができるようSNSを更新し(カメラロールはオフショットで埋まり)、一つでも多くの企業に渉外活動を行い(月の電話代は学生とは思えないほど高額になり)、バイトもそこそこに夏休みの多くを準備に費やした。
しかし、そんな企画側の努力をよそに、候補者たちの将来の夢はアナウンサーから客室乗務員、お嫁さんへとコロコロ変わり、ここぞという撮影の日には全員が白いワンピースで登場する。内面とは。個性とは。
そしてsnsには過去の未成年飲酒の証拠を血なまこで探す輩がいて、本番直前に候補者が一人いなくなったりする(未成年飲酒、ダメ、絶対)
それでもエントリー段階では見分けすらつかなかった候補者たちがどんどん綺麗になるのを近くで見れたのは本当にいい経験だったし、学業そっちのけで企画を考えたりパンフレットを作ったりするのはなかなか楽しかった。こんなことを先輩に言ったら卒倒されるかもしれないが、ぶっちゃけ見た目で判断する世界があってもいいのでは、とすら思っていた。
また、辞めた立場から言わせてもらうと、そのダイバーシティとやらを謳う会社の社長がセクハラ発言をしてたびたび編集部員の顔をしかめさせていたのだから笑ってしまう。
ミスコンを通して女の子がみるみるきれいになるのを目の当たりにして「この子の成長過程は自分だけが知っているんだ」という何とも言えない恍惚感に味をしめたわたしはアイドルにハマり始めた。
アイドルの魅力、それはミスコン出場者なんか比にならないくらい、自分磨きに努力を惜しまず、自信を持ってファンの前に現れることだと思う。彼女たちはファン(わたし)が見ている自分こそが自分史上最強の自分だと主張する。自信がある人を見るのは、嫌いじゃない。
「こんなにかわいいわたしを見て!」
「ずーっとわたしのファンでいて!」
↑最近の推し
ヲタ活をするなかでもうひとつ気が付いたことがある。
それは、大変おこがましいことではあるのだけど、ミスコン候補者に対して「かわいいな、でも自分にはできないな」自分ではアピールしない/できないことを自分の魅力としてアピールしているアイドルたちを見るのが好きなんだということ。
女の子らしいことをすること、主張することが苦手だ。それは自分のキャラではないと思うからで、同時にそれ以外のところに自分の魅力があると思っているからとも言える。実際わたしは見た目で勝負するにはなかなか厳しい外見であることを自覚しているし…
森見登美彦の理論に則ると「アイドルじゃないわたしがわたし」なのかもしれない。