さるみブログ。

自意識の墓場。

「イマ」に忙しくって、春。

つくづく失礼な話だが、かつて某氏に言われた「俺やだよ。30歳とかになってお前だけ結婚してなかったら」という言葉を思い出しては、咄嗟に反論できなかった自分に腹を立てることをここ数年繰り返している。

怒りが少し落ち着いた後は、そいつにどんな言葉を返すべきだったか考える。年月が経つにつれ怒りは少しずつ落ち着いてきてはいるものの、それと反比例する形で妄想する反撃の言葉とシチュエーションは鋭さを増している。

最近のお気に入りは、そいつが旧社会的価値観のまま成長してしまったこと、その価値観は死ぬまでアップデートされないであろうことを憐れみつつ、そもそも私の想像する未来にお前はいないと伝える(もしくはお前の未来に勝手に私を登場させるな)、というものだ。

我ながら惚れ惚れするカウンターだ。

何よりも他人からかわいそうだと思われることが嫌いな私が、憐憫の目で彼をまなざし、悪しき人間関係を断とうとしている様子がうかがえる。面接なら「実に前向きな姿勢で好印象」という評価を得られるに違いないし、当時20そこそこの私が聞けば拍手と賛辞を送ってくれるだろう。

そしてここまで妄想すると、怒りはすっかり治っているのだ。

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安土城から見下ろした岐阜の街。遠くまで見通せて、地の利を活かした場所に建てられたことがよくわかるし、これくらい自分の将来もはっきり見えたらいいのにとか思う。

 

怒りは原動力になるものの、コスパが悪いことに気がついたのはいつだっただろうか。

他人の行動や理不尽に対して怒りを抱き行動したことはこれまで何度もあるが、瞬間風速的に動けるという利点の一方で、かなりのエネルギーを消費するので体力的にも精神的にも疲弊するという欠点もある。多くの人はこういった経験を重ねながら、自分の感情と折り合いをつけたり諦めたりしながら「オトナ」になっていくんだと思う。

 

このことについて考えると、いつも浦沢直樹の『プルートゥ』を思い出す。

ある博士が完全無欠の人型ロボットを作ろうとしたが、全ての感情を均衡に作ったため起動しなかった。開発者はその感情のバランスを少しだけいじった。「怒り」の感情を強くしたのだ。ロボットは起動したが、自身の敵となりうる同類のロボットたちを次々に襲い、破壊神となってしまった、というあらすじだ(意訳もあると思うがあらすじは概ね合っているはず)つまり言いたいことは、ちょっとの怒りでも爆発的なエネルギーになりうるということだ。

そして怒りは伝播する。

 

過去に同じプロジェクトチームになった先輩がいた。その人(以下Aさんとする)は新卒からチームの一員として活躍しており、その完璧主義な仕事ぶりを買われてチームでも重要な役割を任されていた。ある程度の緊張感のなか、与えられた職責を果たすことが労働を対価に給与をもらう社会人のあるべき姿だと思っていた新卒1年目のわたしには、彼女は目指すべき人物に思えた。

しかし配属されてから数週間経つと、何か違和感を感じ始めた。Aさんは常に怒った表情をしていて、チームに対して笑顔を見せることが一切なかった。記憶をどれだけ辿っても、彼女が私に微笑みかけている顔が出てこない。上司後輩関係なく語気に怒りが滲み、ぶっちゃけ話しづらかった。Aさんのまとうモノは緊張感を通り越して殺気だった(ある人が彼女のことを「手負いの獣」と表現していて思わず「なるほど」と言ってしまった)。すっかりAさんの殺気にあてられたわたしは、次第に彼女への怒りをモチベーションに働くようになっていった。怒りの攻撃に応戦するには怒りしかなかったのだが、今振り返るとどう考えても健全な精神状態だったとは言えない。その証拠にわたしは食事制限やジム通いもせずに配属半年で7キロものダイエットに成功した。

Aさんの雰囲気はチームにも伝播していた。当時抱えていた案件は動く金額も大きく、会社からのプレッシャーもあったため本来チームプレーが必須になるはずだが、当事者間の会話は必要最低限。チームは常に殺気だち、上司もお手上げだとぼやくほど空気は最悪だった。「メンバー全員血だらけで瀕死状態だが、その傷はすべて身内によるものだ」とよく同期に話していた。

 

しかし驚くべきことに、Aさんはチーム以外からは「社交的/常に笑顔の人」だと思われていた。同僚から彼女のチームであることを羨ましがられた際には、思わず誰のことを指しているのか聞き返してしまったほどだ。もしかしたら彼女の本来の姿はそっちで、チームに見せていたのは一面に過ぎないのかもしれないが、残念ながらわたしの中では常に怒っている人であり、思い出すと自動的に負の感情が噴出するトリガーとなってしまった。 

 

Aさんとの長い戦いは、彼女の部署異動をもってあっけなく幕を閉じた。

結局彼女は最後までチームに対して笑顔を向けることなく、完璧な引継ぎをして去っていった。今ではすっきりした顔をしてデスクトップに向かう姿を社内で見かけるほどの距離感になった。反面教師という意味ではあのチームでの経験に感謝しつつも、今後もし同様の人が現れた場合はいち早く察知して距離を置くか、どうしても付き合わねばならない際には無駄なエネルギーや時間を使わないよう、最低限のコミュニケーションに留めたいと思う。

 

 

つくづく腹の立つ話ではあるが、件の”30歳で結婚前提”男は、もう一つ素晴らしい話題提供をしてくれた。今年で28歳になったのだが、やはり30歳が近づいてくるにつれ、思うとこがある者たちがそこかしこで不穏な動きをしだす。

実家に帰るたびに祖父母から良いパートナーはいないのか聞かれ、母からは今は共働きの時代だから子どもができれば必ず子育ては手伝うと約束をされ、父からは未来の孫とやりたいことを伝えられる。

歳の高い知人のなかには卵子保存について調べる者、マンションを買う者、マッチングアプリから婚活アプリへの切り替えを奨励する者などが現れ出す。

もちろん適齢期や平均値というものが存在し、平均とはある母集団の大小ある数値を均したものだと理解もできる。 しかしだからと言って何でも「30歳」をこじつける必要はないと思う。

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そもそも30歳になるとなにか変わることがあるのか。その答えが垣間見えた出来事がつい先日あった。

転職活動中の一場面だった。面接官から「35歳までにどうなりたいですか」という質問を受けた。面接では珍しくない質問だし、そういった類のことは当然聞かれるだろうと構えてはいたが、28歳にとっての中長期的な区切りは30歳ではなく35歳になるのかと漠然と思った(その時点でわたし自身も「30歳」という概念にとらえられているのだが)

そういえばInstagramで流れてくる求人広告も、就職してすぐのころは「とりあえず3年が経ちました」「第二新卒」といった文言だったが、最近は「中途採用」「年収800万以上」といったものに変わった。

そしてこの理論でいくと、35歳で面接を受けた場合は40歳までの想定キャリアを質問されるのか?と考えたら、急に数字区切りで考えるのが馬鹿らしくなった。

1ヶ月後すら見通せないいま、確実に自分のものだと言えるのは今日まで生きてきた日数(≒経験値)と、そのなかで築き上げ時には手放してきた人間関係。それだけが自分を構成するすべてだ。この資産をうまく活用するなら、不透明な5年後10年後の将来設計ではなく、いま着実に運用する方法を模索したほうがよっぽど賢いし、来るかも知れない明日を生き抜く自信につながるだろう。それに気がつかなければ、35歳になれば40歳に、40なら45、45なら50にというふうに、手に入るかもわからない老いと着実に存在する死にずっと怯え続けるのだ。

そして、もし彼らに倣って人生を逆算するならば、「いま」に忙しい自分には怯えてる暇はない。