意地っ張りは私でした、アーメン。
数年ぶりにマンドリンを弾いた。
社会人になってからはたぶん初。
練習はおろかケースから出すのも久しぶりだったけど弦はサビてないし、ひび割れもなし。音も悪くない。
先週2回目の誕生日を迎えた愛犬が不思議そうに楽器を見てきて、そういえばこの子がきてから弾いてなかったと気づかされる。
なんで楽器から遠ざかってたんだっけ。
中高6年間続けたマンドリン。母校は全国大会の常連高だった。
夏休みも冬休みも毎日練習。週末は家で練習して、クリスマスも誕生日も部員と過ごした。
「挨拶しろ」「朝練に来い」と先輩に怒られて、5歳も離れた後輩に弾き方をイチから教えた。
悔しさ、喜び、悲しみ、怒り、切なさ、あらゆる感情を楽器を通して知ったと思う。
誰が見ても"青春"だった日々が最高潮に達したのは、高校最後の全国大会だったと思う。
同期の指揮者が優秀賞をとって大泣きする部員たちの横で、泣けないでいる自分がいた。
「すべてをかけなかった私に泣く資格はない」
その後ろめたさから、大学4年間は片手で足りるほどしか同期には会わなかった。
「別人になったら会う。マンドリンとは違う世界で全力で生きてみせる」
二十歳になると同時に掲げた決意は、同期はもちろん楽器からも自分を遠ざけ、気づけば高校卒業から7年が経っていた。
26歳になる今年。同期のなかには結婚したり親になったりして、楽器を続けてる人はほとんどいない。
自分が変わったように周りも変わっていた。
どうやら同期がまた一人結婚するらしいと耳にしたころ、母校のOG演奏会の知らせが届いた。
なんとなくいける気がした。
だいぶ遠回りはしたけど、生演奏を聞けるくらいには気持ちの整理はついていた。
演奏会当日、花屋で出演する同期のために花束を買った。
ひどい出来だから来るなと言われたけど、行く理由の90%は演奏を聞きたいからじゃない。
自分はどのくらいマンドリンと決別できたのか確かめるためだった。
会場が暗くなり、ゾロゾロと出演者が舞台に出てくる。
コンミスも指揮者も知らない後輩だったけど、私に「朝練にきなさい」と怒った先輩は変わらずトップ席に座ってるし、
先輩の頭越しに見え隠れする同期はいつものニヤケ顔でそこにいた。
なんとなくホッとしたところで演奏が始まる。
隣で一緒に見ていた先輩の身体がだんだん揺れだして、なんだかこっちもウズウズしだす。
、、、弾きたい弾きたい弾きたい弾きたい弾きたい!!!
そう思ったらもうダメだった。
どこせき止められてたのか、思い出が洪水のようになだれ込んでくる。
演奏会で力みすぎて真っ赤に擦れた左手の人差し指。
みんなで公園で演奏して知らない人から拍手を送られたこと。
ネクタイの裏につけてたお守りのピアス。
どの楽器よりも左隣に座るあの子のトレモロが大好きだったこと。
最後の全国大会後、一人楽器を抱きしめて大泣きしたこと。
好きなんだ、マンドリンが。
頭に浮かんだ言葉に、乾いた笑いがでた。
お世辞にもうまいと言える演奏ではなかったのに、こんなに揺さぶられてる。
何が決別だ。何がマンドリンとは違う世界だ。バカか私は。
演奏会後、挨拶もそこそこに帰宅して一回頭を冷やそうとしたけど無駄だった。
帰り道に同期なんかと電話したせいで余計に弾きたくなった。バカ。
13歳の自分が「コレがいい」と選んだ真っ白な楽器ケース。
邪魔だったけどいいオブジェになると思ってずっと自室の目の届く場所に置いていた。
チューナーが見当たらなくてちょっと高めのA線を弾く。
プニプニの指先に弦が食い込む感覚が懐かしくって思わず笑みがこぼれた。