さるみブログ。

自意識の墓場。

サウナイトsession.000

「サウナ好きすぎてサウナ業界に転職した先輩」、もといサウナ師匠に誘われて『サウナイトsession.000』に参加してきた
バイブル『サ道』の作者であるタナカカツキサウナ大使をはじめ、サウナ界のアイドルこと濡れ頭巾ちゃん(彼は「ととのう」という言葉を生んだ人物でもある)、音楽業界のサウナ宣教師ヒャダインなどなど、自他共に認めるサウナ愛好家たちが一堂に会し、サウナについて語り尽す。
まさにサウナ好きのサウナ好きによるサウナ好きのための集いだった。
 

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写真提供:サウナ師匠
 
そんな熱湯熱狂の一夜を記録するため、迷うことなくPCを立ち上げたわけだが、いったい何から書けばいいんだろう。
約120枚のチケットが前売りでソールドアウトしたことだろうか
前述したサウナ界のレジェンドたちが一堂に集ったことだろうか。
それとも#サウナイトTwitterのトレンド入りしたことか
はたまた来場者にはサウナ好きなら泣いて喜ぶだろうあんなものが配られたことだろうか。
 
ここでひとつ断っておきたいのは、筆者は文字通り沸騰状態の頭でこの記事を書いているということだ。
大したことでもないが、念のためその湯だった頭の片隅にでも漂わせながら読んでほしい
 
 
サウナ先輩にイベントに誘われたのは、開催の10日前。番号が80番台だったからギリギリだったんだろうけど、二つ返事で行くことに決めた。
サウナのいろはを『サ道』から学んだばかりのサウナ歴1年足らずのペーペーの私が、四六時中湯だっている強者たちのなかにいても大丈夫だろうかという一抹の不安を覚えつつ、仕事を早めに切り上げた私は渋谷ロフト9へ急いだ。
 
18時30分開場だったが、19時には席は8割埋まっており、参加者はすでに配布されたタオルを首に巻いたり、持参のサウナハットをかぶったりと、ととのう準備万端。
ここは本当にサウナ不毛の地渋谷なのか?と思うほどサウナの概念が漂っていた、、、
(サウナ好きが集まると、そこはサウナになるらしい)
 
 
当日の司会はアイドルプロデューサーのもふくちゃんと、イベントを主宰するTOTONOY LLC.代表のYGQ(真のサウナ愛好家の読者なら、彼こそが世界のYAMAHAとサウナのコラボレーション動画『サウナとトリシティでととのった』の監督であることに気がつくだろう)。
そして登壇者は前述の、タナカカツキサウナ大使、濡れ頭巾ちゃんヒャダイン、写真家の池田晶紀(雑誌『コヨーテ』のサウナ特集の表紙を撮った写真家であることは真のサウナ愛好家のあ以下略)、サウナが好きすぎて聞くだけでととのえるアルバムを作ってしまった作曲家のとくさしけんご、そして笹塚の楽園こと天空のアジト マルシンスパで熱波師として働くサウナ好き芸人のマグ万平、そして「サウナ1年目のペーペーです」と居心地悪そうに自己紹介したパンダボーイ(大丈夫、私もペーペー仲間だからと言ってあげたくなった)、以上7名。(登壇者の説明だけで「サウナ」って何回出てきてんだ。。。)
各々の自己紹介が済んだところで、イベントはスタートした。
 
 
まずは、濡れ頭巾ちゃんの用意してきたスライドショー。彼がこれまで浸かってきた全国の変わり種湯処が紹介された。
「日本一ちくびがとれるサウナ」にはじまり、鶯谷の名湯サウナセンター大泉の題字の作家、氷がポロポロ落ちてくる水風呂など、全国の名湯(迷湯?)が登場。
(ちなみに当日の濡れ頭巾ちゃんの衣装は、あの静岡はしきじの館内着だった)
気になる「日本一ちくびがとれるサウナ」だが、日本一と言われる所以は熱さではなく寒さ。なんと北海道秩父別にあるちっぷ ゆう&ゆの水風呂は水温4度(グルシンにもほどがある!)。乳首が取れるほど冷たいらしい。
水風呂の温度については、サウナ愛好家なら物申さずにはいられない話題。会場でも、イベント前にマルシンスパでととのってきた濡れ頭巾ちゃんが「マルシンの水風呂は高すぎる」と一言。すかさず大使も「21度は水中でととのってしまうから危険」と警鐘を鳴らした。矛先は必然的にマルシンで働くマグ万平に…。
500万はするらしいチラー(循環ろ過で水風呂の温度を調整する機械)をクラウドファンディングでマルシンスパにという結論で落ち着いたが、実現する日は来るのだろうか。
  

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 会場の壁にはヴィヒタがぶら下がっていた(写真提供:サウナ師匠)
 
中盤戦はとくさしさんのプレゼン。
名古屋と福岡で展開するサウナ&カプセルホテル ウェルビーが好きすぎるというとくさしさんは、ウェルビーの米田社長(当日も来場)に頼み、ウェルビー全店のロウリュの音を録音したそうだ。
それを会場で拝聴することに。
鳥の声とともにジュワーーーーーーーーという音が聞こえると、両手をあげる参加者もちらほら。
大使以下壇上の人々はタオルを巻きなおし、ととのう体勢になっていた。
機材が壊れることも厭わず、録音を決行した姿勢に感動した米田社長は、蛇口をひねる音からサウナ室のドアの音まで録音させてくれたそうだ。
(ちなみに、ウェルビーのドアの開閉音は重厚感たっぷりだった)
 
興奮冷めやらぬまま始まった後半戦は、まぐ万平さんと池田さんのサウナコントからスタート。
熱波師のパパ(まぐ)と、熱波師に憧れる息子(池田)が、なぜかおしゃれの代名詞たるスタバでアウフグースを披露する、というあらすじだった。
(めちゃくちゃ面白かったが、小ネタが多すぎて説明しきれないので内容は割愛させてもらう)
コントだが、台本を書いたのはなんと大使。3人で1ヶ月前から稽古を重ねたらしい。池田(本業写真家)はセリフを覚えるプレッシャーから解放されたようで、心なしか前半と後半では一回り小さく見えたのは私だけではなかったはず。(本当にお疲れさまでした)
 
続いてはじまったのは、大活躍の池田さんのプレゼン。
会場の物販でも販売されていた、バルト三国のひとつ、エストニアのサウナを撮影した写真集の裏話を聞くことができた。
まずスライドショーに表れたのはおとぎ話に出てきそうな、常緑樹の森を背景に佇む木の小屋。
続いて手前にある小さな池。
蒸された小屋で温まり、水風呂がわりに池に飛び込む本場のサウナ体験について聞けるとは。
「羨ましい。羨ましすぎる。これが持つ者と持たざる者の違いか」
そんな感想を会場にいた全員が用意したに違いない。
しかし、現実は違ったようで。
美しく見えた池の水は小さな虫やおたまじゃくしだらけ。
飛び込むと枝が刺さるから慎重に入らなければならない、などなど
しまいには「日本のサウナは最高」と言い出す始末。
ヴィヒタの茂る森に囲まれながら、自然の中でととのうなんてどれだけ素晴らしいサウナ体験だろうと思った我々参加者だったが、これぞフォトジェニックに踊らされるということ。
自分もまだまだだなと思った人も多かったのでは。
 
 
最後に用意されていたのは、参加者が楽しみにしていた抽選会!
当日は濡れずきんちゃんがプロデュースしたサウナ飯はじめ、ドリンクを注文すると抽選券が配布された。
景品はなんと、マルシンスパの無料券!(しかも30人分!?)
一発目でマルシンの課長が当選するハプニングもありつつ、大興奮の抽選会は幕を閉じた。
(当選されたみなさま、おめでとうございました)
 
しーーーーかし!
それだけでは終わらないのがこのイベント(※まだ1回目)
ハズれた我々にもご褒美は用意されていた。
よ、横浜のオアシス、スカイスパYOKOHAMAの無料券(2,300円相当)を参加者全員に配布するだと、、、!?
「え、いいの?このイベントのチケット2,000円だよね?」 
イベントのチケットが2,000円のため、参加者は実質黒字となってしまったのだ。
(ありがとうスカイスパ、その心意気忘れない)
そんなこんなで、やけにむしむししたトークイベントは幕を閉じたのだった。

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戦利品ウハハ
 
大事なことを書き忘れていた。
イベントの最後に第2回の開催が発表されたのだ。
といっても今回は「session.000」のプレイベントのため、次回が正式な1回目となるわけだが、ぶっちゃけ飛ばしすぎではなかったか。
東京で開催しておきながら、名古屋と福岡にしかないウェルビーについて、または静岡のしきじについてのトークはおそらく1/5はあったと言っても過言ではないし、サウナ大泉の題字の作家が誰かなんて高校生クイズにも出てこないし、綱島の乱に行った人多すぎだし。
このまま10回目を迎えるころには、サウナ経営者の集いとかになっているんじゃないか。それくらい重度のサウナ好きが集まった、異様なイベントだった。
 
また、ここからは個人的な感想だが、(自分も含め)意外と女性が多かったことには驚きだった。男女比6:4くらい。仲間に出会えて嬉しい反面、マルシンスパはじめ、鶯谷の大泉、名古屋福岡のウェルビーなど、頻出のサウナはほぼほぼ男性限定。
 
私だって笹塚で外気浴したいし、名古屋出張で鳥の鳴き声を聞きながらととのいたい!!!!!!!
 
一日も早くウェルビーが女性okとなり、渋谷にサウナができることを願いつつ、ここらで筆を置こうと思う。
次回のサウナイトsession.001は、2017年10月2日(月)開催。また#サウナイト で盛り上がりたい。
 

うらやましくない

1ヶ月くらい前に「人をうらやましいと思うことが減った」とつぶこうとしてやめたから。

(なんかダサいなと思って)

だから、ひさしぶりに「うらやましい」って気持ちになった自分に驚いてる。

きっかけは、同い年の知人の文章を読んだこと。
あまりにいい文章を書いててめちゃくちゃうらやましい、というか悔しいと思ってる。

今の私の仕事は書くこと。
書くといっても翻訳とか味気ない紹介文だったりするんだけど。
なんとなくはじめた仕事だったけど、気がついたら楽しくなってた。
うじうじもやもやしていることをアウトプットする術も身につけられて、気持ちや考えを整理できるようになった、ちょつとだけ。

その人も自分と同じ年に書く仕事をはじめた。
就職したての頃の彼の文章は別に読んでも「ふーん」って感じで、
わざわざ読みに行くでもなく、ツイートで目についたら読むくらいだった。

けど、就職2年目に入ったその人の文章は、思わずブクマしてしまうほど心揺さぶられるものだった。


悔しい。


彼にはこのことは伝えない。

この夏で書く仕事を辞めることにした。
書く仕事に諦めをつけたはずなのに、こんなに悔しいのはなぜか。

仕事として文章を書くのは、私にとって苦痛でしかなかった。
自分と比べるのもおこがましいほど、素晴らしい文を書く人たちがたくさんいる。
ツイッターにも、匿名ダイアリーにも、週刊文春にも、心揺さぶられる文章が溢れてる。
こんなクソみたいな文を書く私が金なんてもらってていいのか。
書いても書いても納得いく文章は書けない。
書いては消し。書いては消し。
校正は真っ赤だし、嫌になって自分の名前を出すことをやめた。
「書く」プレッシャーから解放されたい。
1年くらいずっとそんなことを考えてた。


「解放されたい」と思い始めた私は、仕事以外の文を書いてみようと思った。
それがこのブログの最初の方のクソみたいな文たち。
「クソ」と評しておきながら消せないのは、書くのが楽しいと思っていた自分があそこにいるから。
本当にどうでもいいことを書いてるだけなのに、さーっと読めてしまうようななんでもない文章なのに、とにかく書いてて楽しかったことを覚えてる。

あーあ、いやなことを思い出してしまった。
楽しいと思えた時点でやめておけばよかった。
なんで読み直しちゃったんだろ。
というか、なんで私また書いてんだろ。
これからも誰かの文章を読んで、同じ後悔を繰り返すんだと思う。

水曜日に会いたい

黒子のバスケ』や『ちはやふる』に出てくる、青春かけて全力で部活に打ち込んでる登場人物たちを見ると、「なんのために頑張ってんの」って言いたくなる。

自衛のためだ。

そんなこと言ったことないし、言えない。

全国大会常連の部活に入りながら、朝練には片手で足りるほどしか行かないクソ部員だった私。

朝は1秒でも長く寝てたいし、がんばるとかつらいし、最低限のことはしてるから誰にも迷惑かけてないし。

めんどうなことはしない、それがいいと思ってた。

 

自分と違って同期はみんな真面目だった。

朝練は7時から、もう十分うまいのにもっと上を目指すし、ライバルの研究はもちろん、プロの演奏会にもしょっちゅう行ってた。

高校生ができうるすべてをかけて部活に打ち込んでた。

泥臭いけど最高に輝いていて、10代にしか出せないあのキラキラをまとって、本当に眩しかった。

高校生の頃の自分の向かいに立っているのは、いまさら「一緒に輝きたかった」と思ってる24歳の自分だ。

部活ものの作品を見ると、それをいやでも自覚させられる。

「もっとがんばればよかった」「青春かければよかった」

自業自得だとはわかってるけど、めちゃくちゃ抉られるんだよね。

 

結局黒子は20巻から進めないでいるし、ちはやも最新刊まで買ってあるけど5巻以上ビニールから出してすらない。

響け!ユーフォニアム』なんて最たる例で、1話冒頭で金賞は取れたけど全国には行けなくて悔し泣きしてる友人を見て、主人公が言った「本気で全国目指してたの」ってセリフ聞いて秒でパソコンの電源切ったからね。

あのセリフで、封印していた現役最後の全国大会の記憶が引きずり出された。

クライマックスが近づくにつれ、顔が歪んでいき、涙を必死にこらえながら演奏する仲間たちの顔を見た。

私は指揮者を見つめ、いつも通りの演奏をした。

もしかしたら楽しいくらいは思ってたかもしれないけど、感極まるみたいな感覚はまったく出てこなかった。

というか、泣くほど頑張らなかったから一緒には泣けなかった。

6年間一緒に頑張った仲間に対して、彼女たちの青春のすべてを見てきた自分がこんなこと言うなんて最低だと思う。

けど、だからこそ、あの全国大会の事実を無視してあの作品を見ることはまだできない。

そんな神経図太くないし、相当後悔している自分に気がついてしまったから。


この話をして、他人から「よくわからない」とか「いい作品だから見なよ」って言われるのはまだいい。

わかる、いい作品なんだろう。

いろんな人に勧められるからそれは知ってる。

けど、「そんな感覚いらないから捨てて」って言われたときはさすがにキレそうになった。

お前に何がわかるんだよ。

なんで万年帰宅部だった奴にそんなこと言われなきゃなんねーんだよ。

経験したこともないくせに端から否定すんな。

指でもくわえてスラダン読んでろ。

 

別に自分のこの感覚をわかってほしいわけでもないし、吐き出したところで何も変わらないのも知ってる、わかってる。

けど、なにかっていうとあのシーンが脳裏をよぎって、同時に「捨てろ」って言われたことを思い出してしまう。

大学時代、なるべく部活仲間に会わないようにしていたのは同じような理由だ。

会えば、自分の青春が輝けずに終わった事実を突きつけられるから。

くだらないプライドといえばそれまでだけど、私にとって彼女たちは言うなれば「ハイスクールゴースト」だった。※1

 

高校を卒業して丸6年経って、社会人になった仲間たちからあの頃のキラキラを感じることはなくなった。

いや、あの子たちがキラキラしていた事実は変わらないけど、それが自分に刺さることはなくなった。

当時と変わらずいい子たちだし、会えばあの頃みたいにギャーギャー騒げて楽しい。

彼氏ほしい/KEYくんなんていない/はしごの担々麺はうまい/客にイケメンがいる/ネイル10本5000円でこのクオリティはいい etc.

おかげさまで今じゃ「定例」と銘打って週一で飲んでる。

大学ではあんなに敬遠してたラフティングだって、スノボ(スキー)だって、自撮りだって、恋ダンスだって、全部あの子たちとならできしまった。

https://www.instagram.com/p/BR2MwqNF2Rb/

2017.03.19 いつもの構図。

部屋の隅に置いてある楽器や、年末の掃除のたびに存在感出してくる6年分の楽譜が入った箱は、変わらずそこにあり続ける。

けど、人は変わらないようで変わるし、気づかないようでそれに気がついてるんだと思った旅行だったよ。※2

 

※1 海外ドラマ『glee』のシーズン5、12話で、主人公のレイチェルが「自分はニューヨークで活躍して高校時代の自分とは別人になったはずなのに、当時彼女をいじめていたサンタナに会うと惨めなあの頃を嫌でも思い出す」と漏らすシーンを見てくれ。

※2 以上、中高の部活の同期に向けた、今週の水曜日の飲みのお誘いでした。

たぶん23歳。

まだ23歳という事実と、『東京タラレバ娘』や雨宮まみから与えられる(勝手に摂取してる)強迫観念のはざまで、漠然とした不安にかられてる。

社会人になって一気に視界が広がって、知りたいこと学びたいことと、やらなきゃいけなきことが山積みで、コツコツやるしかないのは分かってるけど社会人の一週間も一ヶ月も一年も一瞬で、早生まれの私はまだ23歳だけど同級生たちは今年にはアラサーに突入。

このブログを読んだ男友達には「相変わらずこじらせてんな笑」って言われるし、ガッキーと石原さとみの違いを熱弁してたら先輩(男)に下世話だねって言われた。

最初は「こじらせ」とか「三十路」とか、理解できちゃう自分に酔っているだけかと思ってたけど、たぶんこれは違う。

この「違う」ってのを、『タラレバ』(ドラマ5話時点)ベースで拾って書き留めてみる。

 

脚本家になりたいと会社をやめた倫子。けど全然うまくいかない。

枕で若い子に仕事を取られたと思ったらただの実力の差だったし、一念発起して書いた脚本も結局コンペで落ちた。

落ち込んでる時に出会ったもこみちを「運命の人」と思い込むことにした倫子。

「幸せになります」と高らかに宣言しながら、倫子の表情は浮かない。

その上自らの選択を「逃げる」って言葉で表現する。

きっとどこかに後ろめたさがあるからだ。

「仕事を頑張るんじゃなかったの、私」

 

もこみちに至る前に、忘れてはならないのが、2話のイケメンモデルのkeyと一悶着だ。

結局関係を持つも「次の一手が分からない」(←まさに自分もやらかした直後で個人的にこの言葉はクリーンヒットだった)

恋愛の仕方を忘れてしまったと焦る倫子。

これは仕事のことしか考えてこなかったせい、恋愛をサボったせいだと思い込む。

それ、違うと思う。

 

朝日新聞が年始から取り組んでる「女子力」特集。

その記事の一つで、若い世代に専業主婦願望が広がっていることについて、女性記者がこんなことを書いていた。

女子力が示す女性の役割に、さらによって立つことで、不安定化する社会を生き延びようとする若い世代の姿が見えてきます。それ以外のサバイバルの方法が見いだしにくいからです。

www.asahi.com

たしかに私が通った中高一貫の女子校には、将来の夢はお嫁さんって女子が掃いて捨てるほどいた。

ABCクッキングに張りきって通ったり、鏡を見つけるたびメイクをチェックしたり、男の前で声や態度がガラリと変わる同級生たちを(大学時代は大っ嫌いだったけど)本当に尊敬してる(いやマジで)。

だって彼女たちがやっていることは全部、お嫁さんっていうゴールにたどり着くため(=サバイバルするため)のまっとうな活動だと思うから。

じゃあ「それ以外のサバイバル方法」の一つは、仕事で成功することかもしれない。

「脚本家になりたくて会社をやめた」倫子の目的もこっちのはずだ。

なのに周りの結婚ラッシュに焦って、「あれ?もしかしてこの波、私も乗らなきゃだった?」ってとりあえず目の前に現れたもこみちを選んだら、そりゃ後ろめたくもなる。

 

恋人ができる。結婚する。子どもができる。

それだけが女性のゴールや目的じゃないと思う。

仕事を頑張ることだって目的でいいし、人それぞれいろいろな目的があっていい。

倫子は、他人の目的を自分のそれと勘違いし(すり替え)てはいまいか。

たかだか小娘の戯言に見えるかもしれないけど、23歳の私はドラマを見ながら本気でそう思った。

 

 

...とまぁここまでは23歳の理想論・空想論。

ここからはもっとぶっちゃけた話。

本当はこの記事読んでビクついたりしてる。

30歳を超えて「いつか王子様が」と待っていたらやってくるのは「親の死」です。

ren-ai.jp

 

ドラマで何度も思い出してしまうシーンがある。

バッターボックスに立つ同級生たちの無様な戦いぶりを、倫子たちはベンチから3人でゲラゲラ笑って、自分はいつでも現役でいけると思ってて、けど気がついたらボールなんて全然追えなくなってた。

振るうバットはボールをかすりもしない。

 

この倫子たちといやでも重ねてしまうのが、私が尊敬する30歳(女)だ。

高学歴のハイスペック男と結婚、2年後に妊娠出産、子どもの小学校入学と同時に(時間ができたから)ネイルアートの勉強をして、2年後に自分の店をオープン。

そんな絵に描いたような同級生の日々をfacebookでチェックしながらゲラゲラ笑う。

仕事ができて、頭の回転が速くて、『anan』の占いでギャーギャー騒ぐその人と話すのはめちゃくちゃ楽しい。

 

ただ自分が30歳になった時、同じことしてるのって聞かれると言葉につまる。

その人は可愛いし、要領もいいし、今付き合っている彼とゴールインも目前だ。

けど、30歳の自分にそんな未来はあるんだろうか。

全然想像できない。

 

もう一つ印象に残っているのが、4話で不倫に浮気相手に彼氏無しの3人が、「○○こそ終わってない?」って言い合うシーン。

みんな「私は○○よりマシ」と思ってる。

本当に醜かった。

女子会は最高に楽しいけど、女の喧嘩はえぐいしめんどくさいし。

できるなら関わりたくないし、巻き込まれたくない。

当事者になったが最後、否が応でも自分の醜さを突きつけられる。

雨宮まみが「こじらせ女は自分よりこじらせてる女を見て安心する」って言ってたのを思い出した。

なにも今ここで思い出さなくてもって感じだけど、正しい。

 

今(5話時点)の倫子たちが怯えているのは、無数いる誰かの視線や、無言の圧力だと思う。

これって別に倫子の被害妄想とかじゃなく、見えないけど確実にそこに漂っててる何かで。
それにビクついてると、同時に「行き遅れ」「仕事がんばっちゃったんだね」「かわいそう」「痛い」って思われたくないっていう焦りが出てくる。

 

乃木坂46橋本奈々未でさえ、ブログでこんなことを言ってた。

わたしは結婚願望なくしがちだから、積極的に結婚式に参加して行き遅れないように頑張ろうと思う。

blog.nogizaka46.com

「結婚願望なくしがち」はよくわからんけど(結婚願望ってあったりなかったりするのかな)、トップアイドルでさえ行き遅れに怯えてんのかまじかーってなった。

 

高校卒業でようやく解放されたと思ってた「空気」は、多少は薄くなってたけど大学にもたしかに存在していた。

社会人になってこれで本当に自由だー生きやすくなるぞーって思ってたら、そこにはもっと濃密な世間って空気が漂ってた。

 

「女子力」だったり「呪い」だったり。

いろんな言葉で語られる、世の女性を縛る何かに、ビクつきながら生きてく。

https://www.instagram.com/p/BKvdM8LAdOC/

2016.09.24 めでたしめでたし。

盲目の恋をしたっていい(楽しいし)
仕事をがんばったっていい(楽しいし)
芸能ネタ詳しくったっていい(楽しいし)

こう言ってほしいだけなんだけどな。

用途は結婚資金か、親の入院費か分からないけど、定期預金(月5万)を始めた私は
たぶん23歳。

3番目の鳥居をくぐって

2017年2月11日(祝・土)、人生初のお伊勢参りをしてきた。

この国をつくられた神様を祀る神社に、ガチ勢でもない自分がわざわざ建国記念日に行く必要ある?って思ってたけど、今は行ってよかったなって言える。

(金曜夜に前乗りして名古屋まで行ったのにけっきょく寝坊して神事は見れなかったけどね)

正月には土地神様のところに挨拶に行き、お盆には寺に墓参りに行く。

日ごろ神様仏様と対峙するのってこれくらいしかないし、そもそも神とかは信じてない(100歩譲ってお腹痛い時に神様助けてって祈るくらい)。

伊勢神宮へ行くと生まれ変わるとか、全然気分が違うとかいう人の話ももちろん信じてこなかった。

けど、そう感じてしまうきっかけみたいなものがあるんじゃないかと、今日行ってみて思った。

例えば、木々に囲まれた場所や、川近くの気温がいくぶん下がるのも、風が吹けば木の葉や枝がザワザワとなるのも当たり前だ。

ただ、もし今自分がいる場所を「日本という国をつくられた天照大神が祀られている神社」と考えながら参道を歩いたら。

ふと目線を上げた瞬間や、鳥居をくぐった瞬間に吹いた風に意識を持ってかれたら、それを何かの「サイン」として受け取ろうとするのは簡単な気がする。

山登りやバードウォッチングが趣味です、みたいな人ならそんな現象気にも止めないだろけど、都会で暮らしている人ならコロッと「神」の存在を捉えた気になると思う。

 

こんな不謹慎スレスレの会話をしながら参道を歩いてた。

最高気温3℃の今日は、ウルトラライトダウンのロングを着ても寒い。
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参道には樹齢400年を越す大木が点々と生えている

別宮がありすぎて小銭を使い果たし(だって外宮と内宮あわせて10もある)、100円玉の出番が巡ってきてたところで、最後に風日祈宮(かざひのみのにや)を参拝して帰ることにした。

メインの参道から少し離れたところにある宮に参る人はあまりいないようで、しんとした空気のなか、静かに人生によい風が吹くよう祈った。

橋を渡って再び参道に戻ってきた時に、友人が一言。

「なんかスッキリしたね」

たしかにその通りだった。

別に体が軽いとか、世界が澄んで見えるとか、そんなスピリチュアルな話じゃない。

まず伊勢神宮までの道中で考えてた、三代目のコンサートのせいで1人1万円もするホテルに素泊まりしたとか、明日は日曜日だもう休み終わりかとか、そんな小さなモヤモヤがどうでもよくなった。

で、もっと長い目で考えなきゃいけないもの(これからどうしようみたいな)の全貌が顕れた、って感じ。

救いようがないほど漠然としてて、自分でもどう表現したらいいか分からないんだけど、これはきっと健康とか幸せとか人間誰もが望む根本的な願い事を唱えていたからな気がする。

 

玉砂利の鳴る音と参拝者たちの声に囲まれて感じたのは、自分が「大衆」と呼ばれるものの一部だってことだった。

老若男女、日本全国から集まった群衆のひとり。

初めてデモに参加した時にも「大衆」を感じたけど、今日のそれとは似て非なるものだった。

あの時は「安保法案反対」の意思を示すためというより、デモに参加することに目的があったからか、大衆を「見た」という感じだった。

じゃあなんで伊勢神宮では「一部」と感じられたのか。

それは自分がその他大勢と同じように、神に自分の願い(念)を聞いてもらうという目的があってそこにいたからだと思う。


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おかげ横丁は大衆のおかげで大繁盛 

内宮が建てられて2000年、外宮は1500年。

江戸時代には、おかげ参りにやってくる人々をもてなすために伐採を繰り返し、神域の森林は禿山同然になってしまった。

年間600万もの人々を五十鈴川の対岸から内宮へと送り届け、他の宮と同様20年に一度の建て替えられる宇治橋の板は、磨り減って数センチ薄くなっているという。

この2つのことが示すのは、それだけ多くの人が伊勢神宮に来たということと、永い間人々がそこに祈りを捧げ続けた(念を送り続けた)ということだ。

伊勢神宮に蓄積された人々の念を「神」というなら、信じてもいいかもしれない。

そんなことを思った伊勢詣りだった。

 

祖父母のこと

自分でも驚くほどカタカタとキーボードを叩けたのは、きっとニュースとかで聞き慣れている、読み慣れていることだらけだからだ。

あまりに典型的、テンプレ通りで金太郎もびっくりの祖父母の話。

けっして最近どちらかが他界したわけでも、寝たきりになったわけでもないってことを断っておきたい(だってさっきまで一緒におせちとお寿司を食べてたし)。

唐突に書かなければと思ったのは、年末に見た『スクラップ・アンド・ビルド』の影響か。

痴呆の進行は容赦ない。

今日より明日のほうが悪化するし、どれだけわかりやすく教えても子どものように学び成長してくれることはない。

手からこぼれ落ちていく「今」を少しでも長く繋ぎとめておくには、どうすればいいだろう。

 

今日は1月2日、私は祖父母の年賀状作りを手伝っている。

年始の『筆まめ』との格闘は、気がついたら始まっていた正月の恒例行事だ。

料理から掃除から物書きまでなんでも祖母に任せるようになった祖父の筆圧はないに等しい。

宛名書きから挨拶文まで、便利?ツールに頼るしかないのだ。

盛大な舌打ちとため息で埋め尽くされた、決して治安がいいとは言えない部屋。

ソファーに座る祖父は、「自分の歯が恥ずかしい」とベテラン歯医者に言わしめる、80代とは思えない完璧な歯並びで、お年賀の干し柿を食べている。

祖母はせっかくあいうえお順にまとめた年賀状の束をほどいていた(慌てて止めに入る母)。

「これもいずれは笑い話になる」みんなそう思っているけど口には出さない。

その話をする席にきっと祖父母はいないからだ。


気がついたら始まっている痴呆は、その家族の生活スタイルを大きく変える。

例えば母は平日と週末の2回、往復2時間かけて祖父母の家へ通っている。

祖父母は歩けないとか、身体に何か問題があるわけではないから介護ではない。

でも「お手伝い」というには貸す手が多すぎる。

すぐに物を無くすから、母の滞在の半分以上は捜しものだ。

クレジットカードも保険証もメガネも家の鍵も財布も、何回なくしたかわからない。

買い物のダブりもすさまじい。

毎度欠かせない冷蔵庫チェックでは、腐ったものを捨て、ダブった野菜やハムをありがたくもらって帰る。

この間は2台目のカラオケマシーン?を買うとことをすんでのところで阻止した(1週間前に買ったことを忘れていたのだ)。

父方もそうだが、耳が遠くなって年々テレビの音量が上がり、聞き返す回数もだいぶ増えた。

にもかかわらず補聴器は絶対付けないと決心しているらしく、母は声を張り上げては咳き込んでいる。

これまで5年に1度くらいしか帰国しなかった、海外で暮らす母の弟も祖父母の痴呆が始まってからは半年に1度は2週間超の休暇をとって様子を見にくる。

祖父母は駅からバスで20分のところにある3階建の1軒屋に二人暮し。

車が欠かせない場所だが、運転免許証は祖父が事故を起こしかけてようやく取り上げた。

けど愛車のクラウンはまだ車庫にあるし、時々徒歩5分のコンビニに車を走らせているらしい。

 

まさかあれほど切れ者だった祖父がこんなにボケてしまうなんて、6年前の私は想像しなかっただろう。

ステーキの付け合わせのニンニクは絶妙の焼き加減で仕上げ、トンボや蝶を一瞬で捕まえ、時計もその辺で拾ってきたマシンも、魔法みたいにあっという間に治してしまう。

なんでも器用にこなす人だった。

(あれ?もっとすごいと思ったことがあったはずなのに思い出せないな)

そのくらい、この頃の祖父はボケてしまった。

 

ある理由で私は高校3年の受験期を、母方の祖父母の家で過ごした。

塾で夜11時頃帰る私を、9時には寝る祖母はいつも起きて待っていてくれた。

不登校だった私を、祖母は毎日のように駅まで車で送り届けてくれた。

今日は学校じゃなくて図書館で勉強するといった私を何も言わず送り出してくれた。

唯一祖母に怒られたのはあまりに勉強をしないことについてだった。

高校の英語教師だった祖母はなんでも笑い飛ばす豪快な人だけど、私が受験をなめていたことにはさすがに業を煮やしたんだろう。

(そういえば、唯一祖父に怒られたのは朝風呂だった)

中高の部活動も、大学受験も、就職活動も、全部適当に、中途半端にやっていた私に、祖父はいつも将来について聞いてきた。

どんなことをしたいのか、今年はどんな年にするのか、今の仕事は楽しいか。

そして自分がどれだけ家庭をないがしろにして仕事をしてきたかを話して聞かせ、最後は必ず祖母への感謝で締めくくられた。

ここで「きっと祖父はこんなことを伝えたかったんだと思う」とか書けばいいエントリーになるんだろうけど、別に読ませたくて書いてるわけじゃない。

伝えたいメッセージをそれとなく話に織り交ぜて話すって難しいし、たいていそういうのは受け手が勝手に解釈してるだけだと思う。

ここに書いてあることは私にとってすべて事実で、読んでほしい相手がいるとすれば、それは将来の自分だ。

祖父母が他界した時、二人の家がなくなる時、自分が今の母と同じ立場になった時。

こう思っていた自分を思い出させてあげたい。

 

祖父母の家に見事なミモザの木がある。

早くも今年の蕾が膨らみはじめていた。

庭一面が黄色く染まるほど「咲き誇る」その花が私は大好きで、毎年写真に納めるのだけど、納得のいく1枚が撮れたことはない。

そういえば、あの家を出たときも黄色い花束を抱えていた。

 

さるみ。さん(@srwtri_)が投稿した写真 -

芸術家の皮を持った女、あるいは夢見がちな異邦人

おそらく人生初の、ダリ展へ行ってきた。

なんとなくだけど、ダリはミュシャについで日本人が好きな画家なんじゃないだろうか。

その証拠に、会期最後の土曜日は午後3時の時点で40分待ちだった(そしてその1時間後には70扮待ちになってた)

半年ぶりに会った友人と積もる話をしながら牛歩すること30分(予想より短く済んだ)、ようやく入ることができた。

壁にある挨拶や開催の経緯みたいな説明をすっとばすと、目の前にインスタ映えする件の鼻が。

どうやらショップを出たところにあるらしく、写真を撮るための行列ができていた。

この作品が『メイ・ウェスト』だってことを翌日まで覚えていられる人がどれだけいるだろうか。

鼻を横目に第1章へ。

彼が美術を習い始めた頃の作品は色使いが優しい。

ダリといえば赤と黒といった原色の印象が強いが、それは視覚効果を狙ったものなんだろう。

その色がどんな印象を与えるかということをダリは知っていて、その感覚はこの頃身につけたんじゃないだろうか。

 

初期の作品は割と描写が正確というか丁寧な絵が多かったが、《聖十字架祭のためのポスター》は違った。

描かれた黒人の女性3人は、みんな体がクニャクニャしてて、立体感のないべた塗りだった。

その後、第2章に出てきた《アス・リャネーの浴女たち》に描かれた女性たちを見て、彼は体をデフォルメするのが上手なのではと思った。

印象派の話になるが、彼らの作品を見ていつも思うのは、なぜ絵を見てそこに書かれているものが◯だとわかってしまうだろう、ということだ。

木だったり、人間だったり、花だったりするそれは、もう少しぼかせば空や草原と一緒になってしまい、何だかわからなくなりそうなほどデフォルメされている(◯だとわかるぎりぎりのシルエットを描いている)のだと思う。

ダリの女性は別に輪郭がぼかされていたわけではなく、半円と丸でできていて分解すればただの記号になってしまうような不思議な姿をしていたが、ちゃんと女性だとわかる記号だった。

それと同じ原理を使い、例えば《幻想的風景》の鳥でできた顔や、《消えるイメージのための習作》のような人のシルエットと背景でできた顔を描いたんじゃないだろうか。

また第2章の、ダリがキュビズムシュルレアリスムに出会い、ピカソの真似をした作品(とくに《横たわる女》なんてもろピカソの絵だった)を多く発表していた頃の作品は、彼の模索の時期を見ているようで本当におもしろかった。

が、第3章以降のダリ節全開の作品はもう1つ見ただけで満腹。

ここからって時に、一体自分はどうしてしまったのだろう。

派手な色使いも、グニャグニャの時計も、「これぞダリ」と思っていたのに、なぜ「だまし絵展でも行けば」なんて気分になってしまうんだろう。

「プリントで十分」なんて思ってしまうんだろう。

 

イライラを抱えながら人混みをかき分け、アニメーションを上映する部屋まで来た。

不思議な構造の建物や、ダリそっくりな男の頭だけの山車が出てくる、1950年頃作られたという映像を見て、彼はテーマパークを作りたかったのではないだろうかと思った。

思えばダリ展へ行く前に、スペインのダリ美術館へ行った先輩の話は最高にワクワクするものだった。

美術館を囲う塀の上には卵、淡い赤色の壁にはパン。

館内の至る所に顔に見える仕掛けが設置され、ダリワールド全開。

主張が強すぎて四方八方からダリの視線を感じてしまうくらい。

 

きっと私はあのダリワールドに浸かるつもりで展覧会に足を運んだのだ。

けど、申し訳程度に塗られた展示室の壁の赤と、ショップの壁の上の方に卵を張ったくらいで浸かれるような世界ではなかったのだと思い知らされて、ガッカリしたのかもしれない。

だから「記念にメイ・ウェストの部屋で写真とってインスタにあげて、『君の名は。』で瀧くんがデートで来たとこだよ!とかコメントして、マグリットとかと似てたよね~とか感想言い合って。

なんならだまし絵展にでも行ったら?」

とか思ってしまったのだろう(ってことにしとこう)。

(FYI: ダリミュージアムGoogle マップで館内を散歩できて楽しいぞ)